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被災地で復興応援企画「ちゃかぽか松代」を生み出した二人
2021.01.05
被災地で復興応援企画「ちゃかぽか松代」を生み出した二人
ちゃかぽか松代 
代 表 東條 美帆 (ひがしじょう みほ)さん (写真左)
副代表 青木 恵  (あおき めぐみ)さん (写真右)
松代町で、令和元年東日本台風(略:台風19号)により、新築中の実家が浸水被害に見舞われ、当時区長だった父を援助するため被災地区で、支援者と被災者をつなぐコーディネート役を果たした東條美帆さん(36)。ソーシャルワーカーという職業柄、非常時に何が起こるかを、ある程度想定できたことで、先手を打った行動が円滑な復旧支援につながりました。

一方、自宅は水害を逃れたものの、自分の住む松代町内で越水・氾濫―のニュースを聞いて、タオルをかき集め、被災地区へ配り続けた青木恵さん(45)。同時に被災地区を歩いてニーズを拾い、支援物資や炊き出しなど、必要なものを必要な場所に届けるコーディネートで被災地を支えました。

居ても立っても居られない。そんな思いで個々に始めた活動が、個性あふれるスキルを持ち寄ったグループ「ちゃかぽか松代」(方言でチカチカ光るという意)に発展していきました。災害をきっかけとして、松代にちゃかぽかと、元気の光を灯し続ける二人を訪ねました。
東條美帆さんは、区長の父を助けることから開始
令和元年10月12日の夜、次々と携帯電話に入ってくる避難情報の警報アラーム。当時、松代町清野地区で暮らしていた東條美帆さんは落ち着かない気持ちで過ごしていました。そして、深夜に日付が変わるころ「東寺尾地区で堤防が決壊」という文字を目にします。東寺尾地区は東條さんの両親が暮らす実家がある地区でした。

「えー!うそでしょー!とまず思った」と話す東條さん。「両親は夜9時ごろに地区公民館の2階に避難しているとわかっていたのですが、ちょうど両親と一緒に暮らすための家を実家の敷地に新築中だったのでそちらも気になって。」ただ、真夜中に被害が出ている現場に出かけるわけにもいかず、明るくなった翌早朝に東寺尾地区に向かいました。

「でも、途中から道路が冠水して車が通れなかったんです。両親に携帯電話で状況を聞いたらひざ上まで水が浸かっているからまだ当分入れないんじゃないかと言われて」それから水が引くまで待って、13日の夕方にようやく地区内に入れました。

※写真は東條さん提供(撮影は東條さん母。被災した翌朝、公民館からみた景色と玄関。ブルーシートがある敷地が我が家)
東條美帆さんは、区長の父を助けることから開始
「ただ、道は土砂だらけで車は通れないし、なんだかみんなザワザワしているというか、途方に暮れているという感じで。大変なことになったなと思いました」10月14日朝から再度駆け付けて片づけを手伝い始めましたが、当時区長だった東條さんの父親は、対応を一人で担わなくてはならない状況に立たされ、てんてこ舞いに。

「これは大変。父はどうなってしまうのだろう?何かできることはあるのかと思い、とりあえず、まち(被災地区)を一周してみたんです」と話す東條さん。
すると、区の中の各班長宅も被災していて、皆手一杯でした。「自分が父のサポートをするしかない」と考えました。

はじめに着手したのは道路の通行を妨げていた土砂の撤去でした。「フェイスブックにその場所の写真を載せて『助けて』って発信したんです。そうしたらいろんな友達が連絡をくれて」。結局、建設会社の方が重機を出し、友人が小さな重機をトラックに積んで駆け付け、一日で撤去が実現しました。

※写真は東條さん提供(道路を塞ぐ土砂の撤去作業)
経験を生かし、若手と一緒にニーズと資源のつなぎ役に
一方、公民館では東條さんの父親が、詰めかける住民への対応と鳴り続ける電話の応対で疲労困憊していました。東條さんは、その中に若手のリーダー格の人を見つけ声をかけたところ、以前から30〜40代を中心にSNSでグループを作っていると聞き、東條さんもその中に入れてもらうことになりました。それがきっかけとなり「できることをやろう」という声掛けに「ゴミはこう片づけたほうがよいよね」「軽トラ部隊を作ろう」など話が進んでいきました。

そして、地区の被災・復旧状況などを色分けして地図に落とし込み、各家の車や冷蔵庫、電気製品の被災状況まで一覧表にするなど、地区内の状況が一目でわかる態勢が2日間で整いました。

同時に続々とボランティアが被災地に入ってきました。10月15日に長野市のボランティアセンターが開設されたためです。地区の状況把握ができていた東寺尾地区では数十人のボランティアの割り振りが速やかに行えました。

※写真は東條さん提供(東寺尾公民館の当時の掲示板)
経験を生かし、若手と一緒にニーズと資源のつなぎ役に
なぜ、混乱の中にありながら短期間での態勢づくりが可能だったのかを東條さんにたずねました。

「病院でソーシャルワーカーをしていますが、仕事柄、コーディネートや調整役として、人を動かすノウハウを持っていたと思います。どこが困っているのか、次に何が起こるのかも、福祉分野に携わる経験から感覚的にわかることもあります。だから先を読んで備えることができたのかなと思います」と答えつつ、

「ただ、被災当時私は清野地区に住んでいましたし、しばらく地元の東寺尾地区を離れていたこともあって、区長の娘の立場で動き回ることに批判の声はあったのかもしれません。ボランティアやNPOなどいろんな方が間に入って中和して私を支えてくれていたからできたのだと思います」と振り返ります。

東條さんが知識と実践のスキルを兼ね備えていたことと、災害時のノウハウのある県外のNPOが速やかに現地に入り、そのサポートを得たこともあり、東寺尾地区では早い段階から災害ボランティアセンターのサテライト (情報把握とボランティアの采配をする拠点) 的な態勢が整ったのではと東條さんは冷静に捉えています。
青木恵さんはタオルを集め、被災地を回ってニーズを聞く
松代町内在住の青木さんは、以前からの知人だった東條さんのフェイスブックの呼びかけに「自分に何ができるのかわからないけれど、とにかくありったけのタオルをかき集めて現場に向かった」と言います。

東寺尾地区に向かう道中で、城東地区や城北地区、温泉団地地区に集めたタオルや古布などを配布しました。東寺尾地区に到着すると、公民館にはもうかなり物資が集まっている状態でした。その物資を整理することから始め、住民にわかりやすいように補充したり、SNSを通じて集まってくる物資の受け取りを担いました。

物資に加え、食事についても初動段階では被災者の方に行き渡らない状況があったといいます。
青木恵さんはタオルを集め、被災地を回ってニーズを聞く
「近くのスーパーも被災していたので、食事は東条小学校や松代支所まで被災者がそれぞれお弁当を取りにいかなくてはいけなかったんですが、車も被災していて徒歩で行くには困難な距離でした」。カップラーメンやインスタント食品で3食しのいでいると聞いて、青木さんは心痛めます。「ある時、長野駅前の飲食店の集まりの皆さんが炊き出しをしてくれるという話が来て。たまたまそのうちの一人と知り合いだったので、地区長さんや東條さんに依頼され調整役をすることになりました」そこから炊き出しの連携プレーが始まります。

炊き出しの食事が必要かどうかを各戸聞き取り、あらかじめ把握している状況と照合。「冷蔵庫がないのに食事は大丈夫か、遠慮していないか」など、きめ細やかに東條さんや地区役員が再確認しました。そこで取りまとめた食数を青木さんが炊き出し部隊に伝達、炊き出し部隊からは献立や容器の確認などの連絡を受けました。さらに、炊き出しが途切れることのないよう、別の炊き出し支援者にも依頼したり、和食メニューを提案するなど食事の充実に奔走します。
ご飯の用意と配膳はボランティアや住民と公民館で準備していましたが、日を追うごとに被災していない住民もどんどん手伝いに集まるように。青木さんは、人数を調整しようとしたところ、「住民の気持ちが最優先なので、断らずにいたほうがよいと諭され、ハッと気づかされました」と青木さん。地区内の詳細な話は住民同士で決めてもらうよう距離をとりつつ、少し後ろからのサポートに変わっていったと振り返ります。

※写真は東條さん提供(公民館で配膳の様子)
個の活動を持ち寄って、被災者が食べて集まれる場を提供
炊き出しや物資支援がひと段落した11月上旬、「被災地区でニーズはどう変化しているのか把握する必要があると思った」と青木さんはいいます。また、個での活動にそろそろ限界も感じていました。そこで、東條さんや青木さんのように、被災地区に入って支援活動をしてきた若手の知人たちに「それぞれの活動を共有するための状況報告会をやろう」と青木さんが声掛けをして10人が集まりました。

メンバーは、飲食店経営者や食品加工販売など、30代の食にまつわる職業がほとんど。それぞれのスキルを活かした支援活動の内容を話し合いました。そして、これからについては、「個別訪問は他の訪問活動と重複して被災者の負担になる」「被災者だけのことにせず、松代地区の全住民にも声掛けしたい」などの意見があり、そこから出たアイディアが「支援にもなり楽しみもあるイベントの開催」でした。たくさんの人に集まってもらうことで、ニーズを聞いたり情報交換できる場が作れると考えました。

「『大丈夫でしたか?』と声をかけられ温かい食事や支援が行き届いた人と、それがなかった人とでは、復旧作業が落ち着いた後の心の状態が全然違う。そうした取り残されている人に元気になってほしい、特定の地区だけでなく広く支援できるようにしたい。食べ物は心も温める力がある。だから炊き出しを伴うイベントを開催しよう」と青木さんたちは考えました。
そうして開いた初のイベントが、11月23日に開催した「第一回ちゃかぽか松代」でした。地域にも理解を得るため、住民自治協議会など地域の多様な団体の協力を得て「松代復興応援実行委員会」の主催での開催となりました。

「ちゃかぽか」というのは、光が点滅する様子や、賑やかな光という意味の北信地方の方言ですが、そこには「松代を賑やかに、そして、みんなの心が寂しくないように」とのメンバーの思いが込められています。現在はイベント名がそのままグループ名になっています。

「メンバーは、誰かに指示されて動く人は誰もいないんです。全員が固有のスキルやネットワークを持っているので、『次はこれをやろう』と決まったら、頻繁に集まらなくても個々に動いて準備します」と青木さん。そんなスピード感も若い世代が中心の「ちゃかぽか松代」の特徴です。

写真撮影:ナガクル編集デスク寺澤(2019年11月23日松代町中町公会堂で開催された第1回ちゃかぽか松代で、料理を担う仲間たち)
各メンバーの経験とネットワークで素早い活動を
12月になると正式に地域全体で「松代復興応援実行委員会」が立ち上がり、オール松代で復興に向かう機運が高まってきました。

「ちゃかぽか松代」も「復興という目的は同じ」として、独自性を出しながらも関係団体の一つとして連携しながら活動を続けています。

12月22日には商工会と連携して第2回を開催、翌年2月16日には地域の音楽祭とのコラボで第3回を開催しました。その後、コロナウィルス感染拡大により大規模なイベント開催が難しくなり、現在は小規模の防災に関係するワークショップを中心に活動を続けています。9月に「防災お菓子ポーチ作り」の開催、11月に「防災食の講習会」を開催するなど、親子で楽しく参加しながら防災意識を高める活動をしています。

※写真は東條さん提供 (2019年9月 防災お菓子ポーチ作りの様子)
各メンバーの経験とネットワークで素早い活動を
災害の経験を未来へとつなぐ、若い世代に期待を
災害からこれまでを振り返っての感想を二人に聞きました。
「被災したことはとても大変なことでしたが、マイナス面ばかり見ていても仕方ないので、経験をプラスに変えていくことが大事だと思います。この一年で何年分もの人との出会いがありました。出会いや活動を通じて、それまでの固定概念が変わり、視野が広がったと感じています。私のこの先の人生に大きな影響を与える貴重な経験だと思います。」(東條さん)

「災害支援に深く関わり、他人事ではない経験ができたと思います。それでも被災者と同じ気持ちにまではなれないと実感しています。だからこそ『与え続ける』のではなく、困難な状況を自身で乗り越えてもらうために、コミュニケーションはとりながらも、徐々に支援者は引いていくことが大事ということを学ぶことができました」(青木さん)
災害の経験を未来へとつなぐ、若い世代に期待を
これまで経験したことのない混沌とした現場に飛び込んで、次々と見えてくる支援の隙間を埋めようと最前線で走り続けてきた彼女たち。「災害でできたこの仲間の力を使って、これからもフットワーク軽く松代地域のために、何かしていきたいね」と二人は顔を見合せにっこりと微笑みました。



ちゃかぽか松代
連絡先メール chakapokam@gmail.com

取材・文章: 村上裕紀子 (ナガクルソーシャルライター) 写真撮影・構成・編集: 寺澤 順子 (ナガクル編集デスク) 
取材協力: 松代まち歩きセンター(NPO法人松代のまちと心を育てる会)